「繋がっているという妄想」を断ち切る事ができそうだ。
無縁社会にも通じるが
「組織と繋がっている」という妄想から
組織と離れた時に現実を知るという衝撃を否が応でも知らされる。
あたしの場合、役にも立たない「組織」と縁を切れた。
「組織の人達」もハッピーだし、私もハッピー。
可哀想なのは、組織に現役として属していた私(過去の私)。
「無駄な時間を過ごしたね!」と供養してやらないといけない。
「過去の私」を供養できるのは「今の私」。
「今の私」が充実していれば「過去の私」の供養になる。
頑張れ!「今の私」(^o^)
「供養」ってのは、自分の中にいる「過去」の「自分」や「他人」やあらゆるものに対して行うものなんだろうな。
自分の中に思い浮かばなかったら「供養」しようがない。
だから、祈祷師などが「あんたは、●●にとりつかれているから供養なさい」などと言われて初めて「供養」が成り立つのだろう。
「供養」についても考えてみたい。
●追記(2012/01/14)先日、ためしてガッテン!で「不安」を取り去る方法の番組をやっていた。
「不安」も「妄想」も似た様なものだ。
様は、「自分」を客観視して気づかせる(我にもどる)ことが大切なようだ。
ガッテンの方法は、参考になった。
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