民研わだち

そぉーれ!

サ館の一階フロアで踊っている姿が目に焼き付いている。

それとサ館の管理人さんの「み ん け ん わ だ ち」というアナウンスが耳に残っている。
(サングラスでもみ上げの管理人さんと背の低めの管理人さん。上記のアナウンスは後者の管理人さん)

●追記(2010/10/03)1980年代半ばの話・・・ということで四半世紀前の話

●追記(2010/12/19)やはり1980年代半ば。
夏休みの帰省で寝台特急なんとか(名前を忘れた)で宮崎から大阪か新大阪。そこから日本海に乗って日本海まわりで青森駅まで行く途中で秋田の祭り好きの女の子と乗り合わせた。
東北の夏祭りを堪能していたらしい。「民研わだち」のことも知っていた。・・・・それだけなのだが、「民研わだち」がここまで名を馳せていることに驚いたものさっ。

●へたな体育会系に入るよりも「わだち」に入った方が社会人になってからの「ひきだし」が多くなると思う。うちの部は何の役にも立たない・・・今思うと体育会ごっこをやっていた(T_T)

●実はうちの部よりも歴史が深そうだm(_ _)m 恐れ入谷の鬼子母神!!

●当時「わだち」の意味を知らず。北海道に来るまで「わだち」を知らなかった。昔は道路が舗装されていなかったから普通の道路にも轍(わだち)が出来た。(雪道で車が通った後に出来る・・・)