菅総理が嫌われる理由がわかってきた

マスコミやら政治家が
菅総理を露骨に嫌っている。
嫌っているというよりも降ろそうとしている。

何故か。

簡単に言えば「言葉が軽い」ってことか。
言葉が軽いのは
麻生さんも鳩山さんもそうだった。



だけど菅さんには多くの政治家が
そして、その言葉に「翻弄」されているという。

「場当たり的」とも言われている。

「君子豹変する」とは言われるが
この人の場合は、総理のクセに中間管理職的豹変の仕方をするからだろう。

「君子豹変」の時は「大決断」である。
この人の場合は、ちまちまとした些細な変更を入れてくる。

今日の原発の「ストレステスト」もそうだ。
誰の入れ知恵か?
明らかに総選挙を想定してるんだろうな。

うーん。
でも、ストレステストをやった上で再稼働するのは筋が通っている。
だったら「最初から言えよ」というのが現場で苦労している人の言い分だ。

「はしごを外された」感じだよね。


しかし、これまでの日本の政治だと
一度決まったコトは
なかなか変えられないとうのがネックだった。


そういうことでいえば
菅総理の「変化」というのは
ある種、望んでいたことなのかもしれない。

朝令暮改ってのは
「民主」主義の最たるものかもね(>_<)


それが民主主義とは思わないと私は思うけれども・・・・


●追記;まあ、菅総理だって野党の時は
自民党の閣僚をぼろくそに言っていたわけだから
あれに比べれば菅総理に対する言説は
まだ可愛いものかもしれない。


●追記;菅総理を辞めさせる程の鋭い武器としての言葉
予算委員会を聞いていても
「悪口」「嫌み」「皮肉」など
聞いていると「不愉快」になってくる。
これでは、野党が正しくても
聞いている人は、よい印象を持たない。


そういう言葉って無いのかな?
海千山千、最高学府卒業、エリートなど百花繚乱たる国会議員をしてもそういう言葉を創出することが出来ない。
言葉を戦わせるというよりも
言葉をかわし、かわし乗り切っている観ありあり。

●追記(2011/07/18)小泉首相との違い
小泉首相は孤独と戦っていたよね。
指導者(リーダー)ってのは、どこまで孤独に耐えられるか。
みんな、それを見てるから。

多くの評論家が
小泉首相を批評するが
彼ら(評論家)の言説が、孤独に耐える小泉氏の前では
いかに薄っぺらだったか。
(小泉氏が正しいか正しくないかは別として)


彼(小泉氏)は身を削っていたと思う。
就任前と退任直前の彼の写真を見れば一目瞭然。