成人の日 我々が迎えた成人の日は、放っておかれた

それだけ日本が平和になったということだ。

両親は成人の日に対して興味がなかったし
我々も「おしつけ」の祝日としてしか見ていなかった

地方公共団体が主催するのがおかしいとも。

しかし、時代はかわりつつある。(のか?)
我々のしらけた成人式からバブル後の荒れた成人式から「卒業式」並の成人式へ。

昨今では、大学の卒業式にも親が参列する時代だし。

親離れ、子離れがさらに遅延しているのだろう。

これは、時代の流れだ。時代の状況は、刻々と変化し積み重ねられる。