「穿った見方」「うがったみかた」

ついついしちゃう穿った見方」。

ああ、自分の心がさもしいのかなあと。

検索してみた


なんと私の「穿った見方」の用法は誤用の様だ。
「斜に構えて、どうせ○○なんでしょ」と言う様にネガティブに捉えていた。

正しくは「物事の本質を捉えた見方」だそうだ。


朝日新聞に記事があって
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うがった見方
物事の本質を捉えた見方(26.4%)
疑って掛かるような見方(48.2%)
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だそうだ。

「にやける」「うがった見方」本来の意味は…
朝日新聞デジタル>記事>2012年9月22日18時37分
http://digital.asahi.com/articles/TKY201209200409.html?ref=comkiji_txt_end_kjid_TKY201209200409


穿った(うがった)」という言葉の響きに「疑い(うたがい)」を連想させて使用していたのかもしれない。


日本人の謙譲の美徳からすれば
自らの発言を「物事の本質を捉えた見方」と言う人は少ないだろうね。